屍 -かばね-

不思議な事
理解できない事
その辺りに転がっている奇跡



その中のひとつに蘇った屍がある
彼らは別に人を襲ったりはしない
なぜ蘇るかはわからないが彼らはほとんど害をなせない
無論モンスターなどでもない
人間と彼らの決定的な違いは鮮度だ
彼らは新しく細胞が生まれる事はない
生命のロスタイムみたいなものなのだろう
戦争の多いこの国の悲しい伝説
或る時はその伝説が戦いに疲れた人を鼓舞し
或る時はその伝説が戦いに悲しむ人を慰める



そんな事を汗をかかなくなった腕を見つめながら思い出していた
今日の暑さを考えると直に腐り始めてしまうだろう
残された時間は少ない
僅かなリソースをどう使うか
僅かな兵力で戦果を最大化させる
今までもやって来た事だ
こんな事を考えている寸陰すら惜しい
やりたい事は特にないが会いたい人なら・・・



そうだ



きみに会いに行こう



月並な事しか思いつかないのは死んでいるからではなく
私がどこまでも退屈で凡庸な人間という事なのだろう
それでもこんな最後の時は退屈でも凡庸でもない
死ぬとわかると人間変わるものなのか(もう既に死んでいるのだが・・・)
今までにだって死ぬ気になったり微力を尽くした事もあるが
こんなにも目の前をクリアに感じたことはなかった
タクシーを止めて行き先を伝える



「冷房を少し強くしてもらえますか?今日暑くて」



運転手は無言のまま冷房の強さを変えてくれる
過ぎ行く並木が懐かしい景色に変わっていく
走馬灯のように流れる風景
仕事帰りのつまらない帰り道がこんなにも美しく思える日が来るなんて
何もかもが後の祭り
その方が私らしいなとも思う



自宅前までどうにか辿り着けた



外の暑さで内臓は腐り嫌な匂いが毛穴から漏れる
膿を溜め込んだ皮の袋
腐り堕ちて溜まった内臓が下腹部を膨らませる
焼肉とビールをお腹一杯食べたときのようだ



ドアの向こう聞こえる気配



・・・カチ



まるで何かを察するように廊下に慎ましく響く開錠音
その音は何かの始まりの音であり終わりの音
目の前にきみが現れた



刹那周りの音が全て消え失せ
初めてきみを見た時のように
最後にきみを見た時のように
渦を巻いて混ざり弾け空間と時間が曲がり絡まる
驚いた顔のきみ
瞳孔が大きく開く
顔も見えないが多分私だとわかったのだろう
重たく垂れ下がる手を伸ばす



ドサッ
バチャバチャと音を立てて手首から先がコンクリートの廊下に落ちて飛び散る
まるで腐った卵を落としたみたいだ


・・・



時間切れか



声・・・



もうでないな



愛してた



ここで倒れたら片付けるの大変そうだ



遠くへ行かねば



のろのろと背を向ける私に



「あなたなんでしょう?」



隠し事がばれたときのような冷や汗が流れる

「ち・・と見・・・・わ・・から」

「あ・・き・・・・・・しょう?」

「かえ・・・・・・・・・がとう」



もう声も聞こえない
振り向くこともできないだろう
きみは凛とした姿勢で
大きな瞳に涙を溜めているのかもしれない
最後まで悲しませてしまったな
こんな形で力尽きる私を許してほしい





崩れていく私の居た世界が
匂いが消え
空気の感覚が消え
目の前が無に染み込む
確かに感じていたきみが消えて
色の褪せた世界をも炎に焼けて爛れていく
あったものが消えくっきりと残るひとつの感覚
これが・・・死ぬという事か




死んでからも動くことができる
人間のリサイクル
戦争を低コストで行う為の仕事だった
リサイクルするにはあるものが必要不可欠だった
「愛」だ
古臭いし馬鹿げてると思うのだがそうと結論付けるしかなかった
戦争に勝ちたいという思いでも駄目
愛しい人を殺された恨みでもいまひとつ
私は私が愛した人を戦地に送る
それが私の愛の形
ネクロマンサーだなんて可愛げのない名前で呼ばれることもあるけれど
愛するあなたは永遠になるだけ
男の細胞をひとつ試験管に落とす
部屋にはいくつものあなたの一部が保存されている



あなたの大きな手



あなたの血管の浮いた腕



あなたの首筋



あなたの憂いた瞳



そしてそれらが私以外には誰に目にも触れなくなる
そう思うと背中から脳にぞくぞくとなんともいえない快感が走り私は絶頂を迎えそうになる



「好きよあなた」
「あなたを感じる」